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かじまるの人生日記

いつも幸福な人間が、その人格を考察したり仲間を探すためのブログ

エーリッヒ・フロムの本「愛するということ」について

アドラーとは切り離せない、フロムの愛について。

この本との出会い

結婚に関する本をいくつか出版されている著者の方と話す機会があった。
そこで、「嫌われる勇気」にハマっていることを話した時に、この本を勧められた。
読んでみると、第二のバイブルになるほどの衝撃を受けた。

衝撃と疑問

愛という言葉の定義が根底から覆された。
またこれまで自分が大事にしてきた他者に対する感情、行動こそが、愛だったのだとわかった。

そして、愛についての常識に対して疑問が出てきた。
・愛と恋の混同
・夫婦関係、子育てでも、ほとんどの人が本当の愛を行えていない
・誰しもが求めてやまないものなのに、それに気づくことすらできない
・教育で正しく教えるべきではないのか

例えば、数を数えるスキルは生きていくためには必須であるのに、
それを習得していない、教えてもいない、ということと同じことだと感じる。

大学でこの本を読むらしいので読んだ人に聞くと、
当時は難しくてわからなかったということだった。
旧訳の方だったのだろうが、当人の愛の経験が乏しいと理解ができないというのも大きいだろう。
ではいつの時期に学ぶのが良いのか、どう学ぶのがいいのか。

この疑問については、今後もたくさんの意見を聞いて考えていきたいと思っている。

恋愛遍歴

思春期の時代から恋愛はしていたが、大抵は数ヶ月の短い期間で終わってしまっていた。
飽きっぽさもあったと思うが、寂しさや孤独感が薄いので、恋愛を継続するモチベーションが低かったことも考えられる。
20代後半の頃は、自分は結婚しない方が幸せだろうと思っていたし、恋愛できる人格ではないと思っていた。

そして現在、まだ結婚もしていないし、当然子育てもしたことがない。
でも愛することができ、それを説くことができる。
家族愛でも友人愛でも、愛の本質は変わらない。

愛するということ

全編にわたり大事なことが書かれているので、正しくは本を読んで理解して欲しいと思う。

「愛される」ではなく「愛する」ための本だということ

ちまたで見るのは愛されるための恋愛本ばかりである。
どうしたら愛されるか、どういう人が自分を幸せにしてくれるかの判断など。
これは恋愛においては大事なことだろう。
愛するためにも、まず何も始まらない人には必要なことではある。

恋愛はどんな人格でも行うことができる。
人格は装うことができるし、本質が露呈したとしても、未熟なレベルで補完しあって関係を保つことはできる。

だが、結婚となると全く別だ。
他人と何十年も一緒に過ごすということだ。
愛されるだけのスキルしか持たない人間が、自分と家族を幸せにすることはできないだろう。

では愛するってどんなこと?

相手を幸せにしたいと思うこと。
それは、相手を成長させることでもある。
人間が本当に幸せになるには成長が必要だ。それを促すのも、大事な愛の行動である。
そしてそこに見返りを求めることは一切ない。
見返りなしでは動けないという人は、まず他に克服することがある。
満たされた人間のみが、愛することができる。

そして、いくら幸せにするという意志を向けた相手でも裏切ることはあるだろう。
人は弱さゆえに裏切るがそれはしょうがないことだ。
だけどそこにリスクを感じてはいけない。
人間は弱い、そういうことがわかっていて、それを許容できる寛容さまでも、
愛することができる人間というのは持つ必要がある。

ただし、他人を利用しようとする人は、愛の対象にはならない。
結婚相手をステータスのごとく考えたり、恋愛の上下関係を元にわがままを通したり。
結婚するときには、愛する対象になり得るかどうかを見抜く必要がある。

運命的な愛という間違い

愛は、運命で行うものではなく、意志で行うものだ。
若い女性が運命やロマンティックに憧れるのは、自分を特別な存在として承認して欲しいことの表れである。
運命的な愛というのは、未熟な恋でしかない。

人格の成熟が必要だということ

アドラーと同じ。
与えられるではなく、与える段階に達していないと、愛することはできない。
承認欲求まで克服してようやくフラット。プラスに持っていくにはさらなる成長が必要になる。

結婚生活とは気を遣いながら送るものではない

夫婦とは気遣いながらやっていくものという常識があるが、
そんな浅い関係性は脆くても仕方がないことだろう。
成熟した人間同士ならば、ありのままの自分として向き合え、それを認めあうことができる。

赤ちゃんに対する愛が一番易く、他人になるほど難しい

子育ての大変さという意味ではない。
愛するという意志を持てるかどうか。
自分の子供であれば大抵のことは許せる。
反抗期でどんなに嫌われようと、自分は子供を裏切らないことが愛だ。
だが、親、兄弟、恋人、友人と、他人になるにつれ、それは難しくなっていく。

資本主義と愛

資本主義とは、基本的には個人の利益を追求する社会である。
この社会にあって、利他を必要とする愛に気づくのは難しい。

この部分にビビッとくる人はいますか?

フロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだと述べています。ここで言っている生命とは「命」のことではなく、「自分の中に息づいているもの」のことです。相手に対して、「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与える」ことが愛だとフロムは言うのです。そして、「与えることによって、かならず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのだ。

自分が自然に行っていた行動で、なぜかすごく大事だと思っていたことなんです。
確かにこれが愛なのだと理解できるけれど、なぜそんなに大事なのか、フロムの言葉、自分の経験を持ってしてもまだ理解できてません。

オススメの本

本は下にリンクした新訳のものと、
NHKの「100分de名著」の二冊とも読むことをオススメする。

愛するということ

愛するということ