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かじまるの人生日記

いつも幸福な人間が、その人格を考察したり仲間を探すためのブログ

マズローの欲求段階説とその自己実現者についての誤解

アドラーとフロムとマズローは、お互いに影響し合っていたらしい。
それぞれの理論は実は競合がなく、混ざり合っていて、どれも重要なものだと感じている。
一つの大きな理論としてまとめたら素晴らしいと思う。

また、一般的に使われる自己実現という言葉は、マズローの言う自己実現とは大きく異なるものであり、その違いの説明も加える。

欲求段階説

マーケティング、経営、看護などで習ったことがある人の多いこの理論だが、
自己の成長に照らし合わせて語る人を見たことがない。
自分の観測範囲にいないだけなのか、でもネットでも見つからないことに不思議に思っている。

ちなみに、経営学における欲求段階説の流用は、だいたいにおいて承認欲求止まりが一般的らしい。
マーケティング、看護においても同様だろう。

ほとんどの日本人は承認欲求以下に留まっている

例えば、発展途上国の子供、その親の口からよく聞く事は、
「もっといい暮らしができるようになりたいので、勉強をして良い仕事に就く」という言葉。
これは安全の欲求が脅かされているということであり、日によっては生理的欲求が満たされないこともあるだろう。

日本でその欲求段階は稀で、いくら安定志向であると言っても安全の欲求は一部で、
みすぼらしい生活はしたくないとか、他者と比較していい暮らしがしたいということであり、
これは主に承認欲求ということになる。

そして、SNSによって他者との比較をせざるを得なくなってしまった現在、
ますます承認欲求から脱却することは困難になり、それに縛られていることすら気づけない。
せっかく上位の段階からスタートできる環境であるのに、もったいないものだと感じる。

これは、経済状況によって大学に行けないなどは関係がない。
下の段階で苦しむ必要がなく、学習、成長の環境は整っているということ。あとは自分次第。

他の先進国も同じくらい承認欲求に縛られている文化なのかは興味があるところ。

承認欲求を脱するには

自分の場合は、尊重され続けてきたからその段階を脱することができたのだろうと思っていたが、
最近彼女から、「承認欲求が充分に満たされたから超えることができたんじゃなくて、あなたのありのままを受け入れられてきたことが要因じゃないの?アドラーはそう言っているけど。」
と言われ、確かにそれだと思った。
何者かであるから認められるというのは、芸能人とかもそうだけど、それでいいなら多くの人が承認欲求を脱しているはず。
そもそも承認欲求は満たされてもさらに増長していくものだ。
人としてのありのままの自分を受け入れられること、これも愛されることが必要なのだと実感した。

一般的な「自己実現」との違い

一般的には、自己実現というと、自分のやりたいことをやって生きている状態のことだと思われている。
人格の成熟が根底にあるのに、それへの言及は一切なされない。
そしてこの言葉はビジネスで都合良く使用され、さらにそれがコモンセンスにさせている。
一般的な自己実現をしている人は幸せでい続けられる限りそれで良いと思うが、
マズロー自己実現のことが一層理解され辛くなるし、言葉を明確に分けて欲しいと思っている。

下記に挙げる自己実現者の15の特徴を見れば明らかだが、
この2つの自己実現という言葉は全く異なるものである。

自己実現者の15の特徴

自己実現をする5年前くらいにこの特徴について初めて知ったと思うが、
当時は自己実現とのつながりは全く無縁に思えた。
ところが、自己実現以後は、自分が自己実現したと思えるゆえんを的確に表していて、
そして好きなことをして生きるというのは、自己実現の条件どころか、
到達するまでの過程の一つに過ぎないという考えに確信が持てた。

マズローがこれらの特徴を発見したのはすごいと思う。
マズロー自身も自己実現者でなかったら、これを挙げることはできなかっただろう。

1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ

他人を正しく判断する能力。ごまかしや不正直を即座に見つけ出す。

2.自己、他者、自然に対する受容

自分や他者に、罪深さや弱さがあったとしても、それをありのまま受け入れる。

3.自発性、単純さ、自然さ

動機づけが、人格の成長、成熟、完全な自分になろうとする欲求であり、そのための行動が自発的。

4.課題中心的

自分のミッションを理解し、それに従って生きている。

5.プライバシーの欲求からの超越

独りでいても、傷ついたり不安になることがない。一般的な人よりも孤独やプライバシーを好むため、他人には友情のなさや冷たさ、愛情の欠落と映ることがある。

6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性

物理的環境や社会的環境から比較的独立している。興味の中心が自分自身のたゆみない成長であり、自身が持つ可能性を頼りにするため、外部依存的ではない。

7.認識が絶えず新鮮である

他の人にとってもはや新鮮味がなく陳腐なことでも、驚きや恍惚感さえ持って認識する。

8.至高なものに触れる神秘的体験がある

自己実現者のすべてではないが、神秘的な体験をしている。マズローはこれを科学の対象となりうると考えたため、「至高経験」と呼ぶようにしたと。

9.共同社会感情

アドラーの共同体感覚のこと。
共同体に貢献する。この特徴が際立っている。

10.対人関係において心が広くて深い

友人の範囲がかなり狭い。

11.民主主義的な性格構造

階級、教育、政治、人種に関係なく、誰とでも親しくできる。
自己実現者が相手を評価する基準は、その人が持つ性格や能力、才能である。

12.手段と目的、善悪の判断の区別

善悪を区別する高い倫理性を持つ。
手段と目的を区別し、目的を重視する。

13.哲学的で悪意のないユーモアセンス

通常の人とは異なったユーモアセンスを持つ。ただ笑わせるというより、諺や寓話にも似たユーモアである。

14.創造性

特殊な創造性、独創性、発明の才を持つ。創造性は、天真爛漫な子供が持つものに似ている。
大人になる中で失われていくこの創造性を持ち続けるか、一旦失ってもまた回復させる。

15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

文化にどっぷり浸からないが反逆するわけではない。
社会の法則ではなく、自分の法則に支配されている点で超越的。

この特徴の中で自分が該当していないもの

至高なものに触れる神秘的体験がある
そういったものを経験した覚えはない。

哲学的で悪意のないユーモアセンス
人の楽しませるのは好きだし、そのセンスも変わっているが、全く崇高なものではない。ぶっちゃけ下ネタである。

創造性
驚くほど無邪気だし、ものづくりも好きだが、創造性、独創性とまでは言えない。

その他の該当している特徴

その他の該当しているものについては驚くほど当てはまっている。
そして、この面で、自分は他者とは大きく違うということがわかっている。
実際に他者との関わりで、自分は普通ではないということに悲観はなくとも戸惑いは多かった。

この特徴はそれぞれが独自に散らばったものではなく、
ある人格の段階に到達した人間なら自然に備わるものであるという、言葉ではうまく言い表せない実感がある。
もちろん、こういう特徴を持とうと思って持ったわけではなく、ただ人格の成長を志向していたら自然と持つに至ったというのが正しいだろう。

なぜ自己実現者が見つからないか

マズロー自己実現者に至るのは1%以下と言っていて、
その時代から50年ほど経ち、価値観の多様化、仕事の世襲制がなくなり、
どう生きるべきかという迷いは増えたのだろうから、当時よりパーセンテージは減っていると予想している。

それでも、人間として普遍的な理論ならばたくさん存在するはず。
一つには、自己実現者は地味で表に出ようとしないので、見えないということが考えられる。

実はテレビのドキュメンタリー系の番組で、自己実現していると思われる人はチラホラ見つかる。
ただの苦労人みたいな紹介のされ方だからわかりづらいが、やはり特徴が際立っている。

自己実現者にすごく会ってみたいのでこのエントリに心当たりがある方は連絡ください。

第6の段階「自己超越」について

自己超越者の特徴を読んでみたが、さっぱりわからなかった。
自己超越者も、いたら会ってみたい。

この理論への批判

どういう批判があるか詳しくは知らないが、とりあえずwikipediaに載っていたものについて。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2%E6%B1%82%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC_(%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BC)#.E6.89.B9.E5.88.A4.E7.9A.84.E6.84.8F.E8.A6.8B
1つは、親が子供に言語や規範といった文化を身につけさせるまでは好き勝手な行動をさせないという事実からあきらかなように、環境要因を無視した欲求の発展は考えにくく、生物学的にだれもがこの順序をたどるとは言えないという批判がある。さらに、生物学的に人間の欲求発展に違いがあるとすれば、発展の違いがもたらす社会的不平等は自然であり正しいという考えを許容する危険性があるという批判もある。
第2の批判は、マズローが普遍モデルを志向していたにもかかわらず、結局は個人主義に価値をおく西洋的人間観をモデル化したに過ぎないというものだ。従って、西洋以外の世界においては妥当性を持ち得ない。例えばRobbinsは、マズローの枠組みはアメリカの文化が前提であり、日本の場合は安全欲求が一番上になると述べている。さらに、マズロー理論は保守主義イデオロギーに対抗する自由主義イデオロギーの表出に過ぎず、西洋世界においても妥当ではないという議論もある。
第3の批判は、自己実現の段階に到達するためには欠乏欲求を乗り越える必要があるという、階層の順番に対する批判である。欠乏欲求を満たすには商品を購入する資力が必要だが、それでは結局自己実現は資力にかかっていることになってしまう。では反対に、資力があれば誰でも自己実現が可能かといえば、それも困難である。身の回りに商品を溢れかえらせることが自己実現であるとするならば、商品の集め方によってしか人間の個性が決まらないことになってしまう。

1つ目は、生物的な普遍性であれば、例えば日本に住む人間と、アフリカに住む人間の手の指の数は変わらない。だがこの理論は、人間の人格の理論である。環境要因によって違いが生まれるのは当然のことだろう。段階のスタート地点、上りやすさに差はあれど、それが段階になっているというこの理論の主張を覆すことはできない。また、欲求の段階によって社会的に差が出るわけではない。あくまで内面的な人間の成長の段階だ。それで差別するような人間は、結局他の要素でも差別をするだろう。

2つ目は、これは国によってどの段階に留まってしまうかが違うだけで、要はその段階を超えた時にどの段階に行くかということが普遍性であるということである。また、日本は安定志向であるため、安全欲求を一部持つが、主体となるのは他の国と同じ承認欲求だ。

3つ目は、物がある(買うとは限らない)ことで満たされるのは人間として最低限の暮らしができる生理的欲求と、安全の欲求のみだ。それ以降は、1人で生きていない限り満たしていくことができる。特に、承認欲求を物で満たすと考えているならば、大きな間違いをおかしている。

子育てや結婚などで今の欲求段階は保てるのか

anond.hatelabo.jp

ふと見つけたこの記事に付いていたこのコメント

id:k_oniisan 承認欲求が最も熾烈なのは20代で、そこを首尾よくクリアすると自己実現欲求に苦しむようになる。でも殆どの者は、大人になってから欲求レベルが後退する。子育ての苦悩や将来の不安によって。

確かに、今の安定した幸福度や欲求段階は、余裕のある1人の生活だから実現できているかもしれないという可能性はある。
大変と言われる子育てや、結婚での失敗によって、自分がこの段階を保てるかどうかは確信が持てない。経験したことがないことはわからない。
経験者からの助言ということで心に留めておく。
もちろん、そういった危機的状況に立ち向かってみたいというチャレンジ精神も、別として持っている。


マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて

マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて