かじまるの人生日記

いつも幸福な人間が、その人格を考察したり仲間を探すためのブログ

高卒が30歳から英語を始めてTOEIC実質0から800点を取り英会話もできるようになった話

英語や、勉強することの下地がない人をターゲットにしています。
TOEIC攻略や英語学習記事はたくさんあるけれど、
英語を勉強してこず、勉強の仕方すらわからない状態の人向けのものは見たことがなかったので、自分の経験からそれを書きます。

外人さんと遊ぶ程度の英会話ができて、TOEIC800点が取れて、
ネットでの調べごとでわざわざ翻訳することもない分量の文を読むくらいの英語力を2年半で得た時の経験です。

学習前の英語力

to不定詞や関係代名詞はもちろんわからない。
普通に生きていればアルファベットや5W1Hは知ってると思うのでその程度。
TOEICの模試をやってみたら、何を言っているか全く聞きとれないし、リーディングの問題も全くわからなかったので、TOEIC実質0点ということです。

中学一年生の最初の試験の後に勉強自体を辞めてしまい、英語の授業ではほぼ寝てました。
社会人になって英語に触れる業務では、英語部分を無視して仕事をしていたので、かなり効率が悪かったです。
30歳になる頃、そのときの会社を退職して次の仕事を始める前に、英語を勉強しようと思い立ちました。

英語力の伸び

フィリピン留学前

1ヶ月ほど、中学英語の文法書と、瞬間英作文と、Duoを勉強していました。
Duoの文がほぼ理解できず、文の構造が理解できないと単語も頭に入ってこなかったので、結局は中学英語の文法の理解にとどまりました。

3ヶ月のフィリピン留学

1ヶ月ほどは先生の言うことが全く理解できず、自習時にただ文法や単語を勉強する日々でした。
2ヶ月経った頃には、5文型やto不定詞や関係代名詞など、修飾について考えながら会話していましたが、反射的に話すことはできませんでした。
3ヶ月経って卒業後する頃には、正しい文法とDuoレベルの単語でフィリピン人と会話ができるようになりましたが、会話の速さ、難度が上がると聞き取りが全くダメでした。
帰国後に初めて受けたTOEICでは420点ほどでした。

再就職してからも学習を続けて合計2年半

忙しい職場で、プライベートでも仕事の学習をする必要がある状況でしたが、英語の学習も毎日1時間半ほど継続していました。
最初の年にTOEICは650点まで取りましたが、まだまだ聞き取りも読み取り速度・精度も低レベルでした。
学習を初めて2年半後、TOEIC800点を取り、聞き取り、読み取りともに大きく向上していて、少しながら英語ができるという実感を持つことができました。

とりあえず現状はここまで。

英語を学習するうえで大事だと思うこと

・英語の学習方法
・スピーキングやライティングの出力系
・普遍的な勉強の仕方
・モチベーションの保ち方
・勉強の習慣

最初の二つ以外は、何かを新たに学ぶ際、ほぼ全てに必要な要素となります。
ただ、この記事は学習の仕方がわからないレベルの人向けのものでもあるので、ココが大事です。
これを知ることなしに英語を学ぼうとすると、挫折し、何が本質的に間違っていたのかを気づくこともなく、英語の苦手感だけが増してしまいます。

下に詳しい内容を書いていきます。

英語の学習方法

単語や文法、発音などどういう順序で学ぶか、どういう教材が優れているかなど気になりますが、これははてブで探すと良記事がたくさん見つかるのでそちらを参照してください。

はてなブックマークで「english」タグの人気順
http://b.hatena.ne.jp/search/tag?q=english&sort=popular

例えば、
英語上達完全マップを10ヶ月やってみた

基本的にはざっとですが、

  1. まずはForestレベルの文法を身につける
  2. Duoレベルの単語力をつける
  3. 「みるみる」音読パッケージの簡単なレベルから、難しいレベルの音読のトレーニング(かなり時間がかかる)
  4. TOEICの公式問題集をやる(TOEIC挑戦はモチベーションにもなり、効果的な学習もできるのでオススメ)
  5. 英会話ならオンライン英会話や瞬間英作文で出力系を鍛える

週一で通う英会話教室や聞くだけで英語ができるという教材などは、すべてを把握していないため断定はできませんが、語学を学ぶための本質的な努力なしには、まともな力はつかないものだと考えた方が良いです。
@HAL_Jさんがやっているサウスピークのようなところだと、最も効率的に英語ができるようになると思うのでオススメですが。

スピーキングやライティングの出力系

英語の基礎ができていないのにいきなり英会話から入るのは非効率です。
簡単な文ならすぐに使えるようになるので、海外旅行目的であればこれで良いでしょうが、
それ以上の目的があるなら、やっぱり文法や単語、そしてリーディングやリスニングの入力系を最初にやるべきです。
フィリピン留学の中で、東大生など受験でこの入力系ができているので、出力系の習得が2週間ほどでできていました。
僕の感覚でも、入力系で英語の基礎ができていると、出力系はちょっとした慣れで割合すぐにできる感じでした。
TOEIC高得点者でも英会話ができないと揶揄されることがありますが、そういう人なら少し海外に滞在すればすぐに喋れるようになるだろうと思います。

普遍的な勉強の仕方

その学び方を学ぶ

僕が英語学習を始める前、上記のようにその学び方から調べ始めました。
まずその学習に取り掛かる、というのも大事ですが、長期的に見ればその効率的な学び方を知るのと知らないのでは大きな差が出てきますので、最初は学習とその学び方の学習を並行して行うことが良いと思います。

暗記物は復習大事

2chの勉強板みたいなところで、「復習をしないなら勉強をするな」という言葉を見かけました。
文法や単語など、復習をしないと数日後にはもう忘れてしまいます。
怖いのがここからで、数日で忘れたという現実から自信をなくし、やる気を失って、せっかく勉強をしたにも関わらず、それがマイナスにもなるということです。
学習の効果を高めるため、そして自信を失わないためにも、復習をしないなら勉強をしない方がまだマシというくらいに、暗記物では復習を重視する必要があります。
復習の頻度も、エビングハウス忘却曲線を意識して決めた方がいいです。

論理的に理解しながら進める

留学先の生徒で、英会話をただノリだけで習得しようという人が何人もいました。
例えば「もう一度言って」という英語を、ただ「Please say that again」と丸暗記するだけでは、すぐに壁にぶち当たって伸びなくなります。
僕がプログラミングを学習し始めた時も同じで、なぜここはこう書くか、というルールや仕組みを論理的に理解しないと学びが悪く、応用もできずに非効率となります。
ちなみに幼児期の英語学習では、言語の習得機能が大人とは異なるので、論理的に理解せずとも耳で聞くだけで習得できると言われています。

語学は勉強というよりトレーニング

英語を学ぶにあたって多くの時間を占めたのは、速い音声を聞き取れるためのトレーニング、難しい文章を速く理解するためのトレーニングでした。
単語や文法のように、ただ覚えれば習得できるというのは楽なものですが、すぐには効果を実感できずに何回も行う必要のある地道なことこそ、大変で重要なことです。
学ぶものの種類によって、このトレーニングが必要かどうか判断できることも大事です。

モチベーションの保ち方

僕の場合は、まず仕事で使うという大きな動機があり、
その後、留学をすること、外人の彼女を作ること、TOEICに挑戦するという課題を設けてモチベーションを維持するための行動をしました。

でも大事だと感じたのは、この取り決めたモチベーションではなく、日々の学習や成長によって得られるモチベーションでした。
努力がきちんと自分の能力に反映されるということは、継続的なモチベーションとなります。
英語学習の時は、1日に1時間半ほど集中して学習すると、1ヶ月ごとに大きな成長が実感でき、それが大きなモチベーションになっていました。
これが例えば週に2回の英会話教室のみの学習だと、いつまでも成長が実感できず、いずれはモチベーションを失っていくでしょう。

勉強の習慣

僕と同じレベルなら、勉強をするための力がないことが予想されます。
正攻法であれば、
・小さな目標を立て、少しずつ勉強の習慣をつけていく
・習慣を阻害する要因をなくし、促進する要因を増やす
などがありますが、ここで挫折することも多いと思うので、英語なら留学、他のスキルであればそれを使う仕事で、やらざるを得ない状況を作るのが一番です。
勉強する力がつけば、あとは他のどんな勉強でも応用できるので、まずは最初の勉強のみ、少しの決断が必要かと思います。
あとは勉強している人が多いカフェや図書館に身をおくこともオススメです。

ちゃんとした大学に行った人は大学受験までにこれができてますので、やはり社会でも強いなぁと感じます。

今後、英語学習は必要か

ここまで書いといてアレなんですが。
明確な必要性がない限り、僕と同じレベルから始める人には勧めません。
やはり一朝一夕には身につかないスキルなので、英語はITに任せ、他の重要なことにリソースを使った方が良いと考えます。
最近Google翻訳が大きな進化をして、近い将来にコミュニケーションに問題ないレベルまで進化することが予想できました。
バイスの進化も合わせて、言語の違いが障害となることは今後なくなっていくでしょう。

フィリピン格安英語留学とフィリピーナロマンス

2013年2月、30歳になったばかり。
3社目の会社を辞め、また転職前の期間を使って、フィリピンのセブ島に話題の格安英語留学に行きました。期間は3ヶ月です。
前年末に父親が病気で亡くなったところで、母親は一人で寂しい気持ちに違いないのに申し訳なかったと思う。

なぜフィリピンに英語留学したか

お仕事で英語を使うんだけど、英語力がリアルに中学一年生レベルだったので、どうにかしようと思って。
フィリピンでの留学は、安く、長時間英語に触れる環境が得れると聞いて。

3ヶ月の費用の合計はざっと考えて70万円以内だったはず。
セブ島への往復は、一回乗り換えが必要な格安チケットで6万円くらい
・学費と寮費(3食付き)で1ヶ月11万円くらい
・おやつや遊ぶお金は月に5万円〜10万円ほど

留学生活

卒業シーズンの大学生が多かったおかげで学校生活を再度体験できて、すごく楽しかったです。
寮に住み、1日5時間から8時間のマンツーマンレッスンとグループレッスン、毎日の単語テスト、
3食は食堂でみんなとワイワイ食べて、
休日はセブ島観光、近くのイオンみたいな商業施設に行ったり、クラブに行ったり。
レッスン以外の自習では、主にDuoを使って単語、Forestを使って文法、ベレ出版の瞬間英作文で会話の学習をしていました。

写真とともに

マンツーマンレッスンは、「キュービクル」と呼ばれる小さな部屋で行います。先生は、フィリピンの若い女性が多いです。
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グループレッスン
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毎週末のクラブ。
フィリピンでは遊びの一つとして普通にクラブで踊って飲みます。
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海で遊んだり
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フィリピンの広場では、ズンバと呼ばれるダンスなどでエクササイズが定期的に行われています。
みんなで踊るとすごく楽しいです。
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ゲイの先生と食事。このあと家に誘われたけど断りました。
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このレチョンという豚の丸焼きがめちゃくちゃうまかったです。
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ボクシングを体験したり
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ある観光地で
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英語はできるようになったのか

留学前に、中学英語を一通り復習する本と、瞬間英作文の練習はしてたのですが、
始めの2週間はフィリピン人先生の言っていることが「ペラペラ」としか聞こえず、
自分の言うべきことも全く英語として出てこず、
レッスン中ずーっと先生の話を無言で集中して聞いているしかなく、
自分は英語ができない体質なんじゃないかと本気で不安でした。
先生側も、固まってる僕を奇妙に思っていたみたいです。

大学受験などである程度基礎をつけているとか、TOEICなら600点レベルになってから留学した方が効率良いです。
先生からの説明も英語なので、それが理解できるようになるまでは数週間無駄にするかも。
耳はどんどん慣れていき、3週間目くらいから簡単な単語が一部聞こえ始め、それは2週間ごとに上達していった感覚がありました。

3ヶ月が終わろうとする頃、学校の卒業式のときはまだ3語くらいの文しか言えない状態だったんですが、
その後にフィリピン人先生の友達と遊んでたら、急に英語が反射的に出るようになり、先生から「very talkative!(すごくおしゃべり!)」と言われるくらいになりました。
頭の中で、SVO、関係代名詞がこうなって、前置詞がこうで、動詞変化が〜と長らく論理的に考えていたことが、カチッとハマり、一気に出たのだと思います。
あれは快感だったし、英語学習者はぜひ諦めずここを超えて欲しいと思います。

聞き取りはまだまだ苦手で、帰国後、初めて受けたTOEICでは、420点くらいだったと思います。
その2ヶ月後、仕事を始めた段階では650点、
仕事が忙しくて中断した時期もあったけど、やる時は毎日1時間半の英語学習をやって、
学習開始から2年半の2015年5月に800点まで到達し、英語に躓くこともほとんどなくなりました。
英語が全然できない人向けの学習法として、別エントリで書きます。

フィリピーナロマンス

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留学前の英語学習法の調査のときに、一番の近道は外人の彼女を作ることだ!というのを見てたので、
フィリピン人の彼女を作ろうと決めてました。

2人と付き合い、フィリピーナにハマってしまうという結果になりました。
「ピンボケ」というフィリピーナにハマることを表現する言葉が存在しているらしいです。
日本ではフィリピンツアーやフィリピンパブなど、昔からフィリピーナとは関係が深く、書店でもそういったルポルタージュ的な本をいくつか見つけて読みました。
もちろん、おじさんが若いフィリピーナを買春するという状況があっての話です。

僕は普通の恋愛(だと思ってますが)をしてハマったんですが、理由としては、
フィリピーナのホスピタリティや、恋愛感情を中心とした嫉妬や熱烈な表現だと思います。

最初の子は、クラブでダンスしているときにお互い意識していて、帰りに電話番号を聞きに行ったら向こうから手を握ってきて、外人は情熱的だと思いました。
何度かデートして、すぐ別れました。その時はまだあまりにも喋れなくて、コミュニケーションが取れなかったです。

二人目は、入学して最初の授業を担当してくれた先生でした。
先生と生徒は恋愛禁止というルールがあったけど、友達の日本人2人も先生と付き合って、よくトリプルデートをしてました。

僕の卒業、帰国と同時にこの恋愛も終わっちゃうだろうなと思っていたら、
あちらから毎日Skypeが来たので関係は続き、帰国から1ヶ月後、今度は遊びとしてフィリピンに行きました。
滞在期間の20日間ほど毎日デートして、他のカップルと一緒に島に行ったり、プール行ったり、遊びまくりました。

しょっちゅうケンカして仲直りして、またそれも恋愛の良い刺激になってました。
それまで僕は、日本で付き合った彼女とはほとんどケンカしたことがなかったので。
フィリピンの男性は浮気性で有名で、ゆえに女性の方も、嫉妬深く、疑い深い。
でも、そういう女性の方も浮気するんです。これにはびっくりでした。
実は、僕の彼女は元カレとはまだ切れておらず、二股だったことがわかったし、
日本人の友達の彼女のフィリピーナも同じく二股。すごい(笑)

どういう論理なのだろうと考えましたが、
自分の恋愛感情を中心に考えていて、例えば2人の人を好きになってしまったらそれは悲劇的な自分となるし、
相手が浮気をしたら、それは当然裏切りとなって絶対許さない!という感じですかね。
日本人カップルも当然ケンカするし、感情的になるだろうけど、フィリピンではその度合が大きいと感じました。

最後に気づきなど

現地の人とコミュニケーションできるようになると楽しい

これまでの海外の旅とは違い、他の言葉をしゃべる人たちと意思疎通ができることがこんなに楽しいとは。
旅でも、町並みや祭事などの文化だけでなく、現地の人と話し、何を思っているのか普段何をしているのか、そういう人の文化を知ることが面白く、刺激的だと思います。

ダンスは幸福度を高める

これはアメリカの映画とか見ててそうだろうなぁとは予想してましたが、
やっぱり音楽に合わせて体を動かすということはすごく気持ち良いものでした。
日本でも何度かクラブに行って踊ったりしましたが、そのときは照れや、人から見られることを意識したりで、ダンスそのものを楽しんだことはなかったんです。
ただ身を任せてダンスするということ、そういう文化っていいなと思います。
家族ができたらWiiとかで日常的にダンスしたいと思っています。

フィリピーナとの恋愛以降、恋愛への意識が変わった

それまでの恋愛は全て3ヶ月以内に終わっていて、自分は恋愛するのに向いてないと思っていました。
ですが恋愛にハマる経験によって、これ以降の恋愛では普通の?恋愛ができるようになりました。

異性の好みはそれまでの文化で形成されたものである

僕は、最初からそのフィリピーナが好みだったわけではありません。
3ヶ月同じ部屋で授業を受けて、好みが変わったというか、
フィリピン系の顔が許容できてきて、そうすると普通に好きになりました。
めちゃくちゃかわいいと思って付き合ってました。

普通、自分の異性の好みが変えられるものだとは思わないでしょう。変えようとも思わないはず。
日本に住んで自然に触れるテレビや雑誌の文化が異性の好みを形成するだけであって、
最初から持って生まれたものではないのです。
遺伝子も、今いる文化でうまく生きれるように働くはずで、周囲に応じて恋愛の好みを適用させていくと考えれば自然ですね。

そこで思ったのは、自分の好みを制限し過ぎない方が良いということ。
こういうタイプじゃないと好きになれないという思い込みは、出会いや自分の世界の広がりをも制限してしまいます。
求めたタイプの人と両想いになれ、結婚もできる人なら、それはそれで良いんですが。

好みの人と結婚できなかった人や、恋愛がしたくてもできない人は、自分の好みを縛っていないかを意識してみて、
もしそうなら固定観念を捨て、素直に、前向きに異性と向き合うようにしたらどうかなと思います。
ただ、生理的に無理ということはあるので、無理に好みを捻じ曲げるということではないです。

結局はこれも、日本を出て常識や文化を脱した時に、自分の世界が広がる、ということです。
うまく言葉では説明できないけど、自分の中ではそれが一貫した意識としてしっかりと存在しています。

インド一周バックパッカーの旅をしたときのこと

2011年3月、28歳のとき。
2つ目の会社を辞めてまた転職するタイミングで、インドを旅しました。
インドに入る前、ストップオーバーで香港とマカオに寄り、合計40日間ほどの旅でした。

なぜインド?

刺激、成長を求めて。
東南アジアを旅したときに知り合った旅の仲間たちの集まりがあり、
「これまでに訪問した国で一番刺激的だったところは?」という問いに、
ほとんどの人がインドを挙げたからです。
なんかカオスで危ない国、ということでした。

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旅では、日常的に詐欺を仕掛けられ、むっつりした顔のインド人を多く見ていたので、
帰国してしばらくは日本で出会うインド人にちょっと恐怖心がありました(笑)
写真のインド人は変顔勝負をしようぜ!と誘ってきたイイヤツです。

旅を写真とともに振り返る

香港

香港の夜景は東京では見れないほど凄かった。
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おかゆがめっちゃうまかった。
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魯肉飯まじうまかった!
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タイムズスクエアと見紛うばかりのネオン
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独房と見紛うばかりの安宿。
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マカオ

マカオタワーから233mの世界一高いバンジージャンプをしました。
夜バンジーでしたが、向こうに見えるマカオのカジノホテルの夜景がキレイで、そしてタワーの下は闇で吸い込まれそうな感じでした。
落ちる瞬間、体が傾いていく瞬間が一番怖かったけれど、それを過ぎると普通に刺激的で楽しかったです。
当時26,000円くらいしたので、そこだけ躊躇しました。
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マカオのカジノ街
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インド

予算は一泊300円〜600円の安宿。南京虫にやられたことはないので幸運でした。
この写真はニューデリーのパハールガンジにある宿で、これが一番汚かったレベルです。
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基本的に露店のものを食べるようにしていて、ほとんど美味しく食べれました。使っている油が悪いのか、毎日下痢でした。
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タージマハルに行く前日の夜に食中毒になってずっともだえていて、まだ日が明けない朝に路上に嘔吐しながら向かいました。
観光後にしんどくて地べたに座り込んでいると地元民が集まってきたので、iPodに入れたエロ動画を見せているところ。
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毎日下痢だったので、夜のバス移動の際についに我慢できなくなって途中で降り、明かりが全然ない村の道沿いで致しました。
途中で降りるとこの先どう行けばいいかわからなくなってしまって路頭に迷ってたら、何かインド人が助けてくれてどうにかなった。(よく覚えてない)
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人気スイーツ店。おそうざいかな?
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インドの南部へ向かう電車は20時間以上かかる区間が何度かあったはず。車内ではチャイ売りから買ったチャイを飲んだりしてました。
南部での移動はバスが多くて、それも10〜20時間かかることが何度か。青春18きっぷの旅の比ではない辛さだったはず。
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映画館。その時は日本人と一緒だったので、襲われそうになったら逃げよう!と事前に打ち合わせてました。
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砂浜に牛がいたりメリーゴーランドがあったり。
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インド人と食卓を囲む
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イカジュースうまい!
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この変なお菓子うまい!
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しょっちゅうぶどうを房で食べてました。
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日本で食べれるインドカレーみたいなのは、露店では全然見れなかったので、庶民は食べてないと思います。
ちゃんとしたレストランでなら食べれました。
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その他の写真
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気づきなど

常識や文化を超えてますます自由になる

インドでは、右手で食べ物を掴んで食べ、左手で尻を拭く。初めの一回はちょっと抵抗があったが、すぐに慣れた。こうやって、日本人としての常識、こうするのが当たり前ということをやぶるとき、「あ、これでもいいんだ」という感覚によってますます自由になる。枠を超えて俯瞰的な視点が持て、常識はあくまで今いる文化での常識でしかないと気づく。

『常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである。』とアインシュタインの言葉を実感。

寛容さ

特にインドのお店の接客態度は悪い。日本の感覚だとイラッとして文句を言いたくなるはず。でも、インドではそれが普通のことで、日本が過剰なだけかもしれない、という別視点に立てる。そうすると、不寛容な自分を反省し、さらに寛容になれる。

リスクのクリティカルなラインまで攻める

何かを経験する際には、どういうリスクがあるかを知り、どこまでリスクを取れるかを考えておく必要がある。例えば、インドなどで人から何か誘われた場合は、リスクを恐れて全て無視するのではなく、何に応じてはいけないかのクリティカルなラインだけ意識して、そのラインの前までは踏み込んで良いとする。これは知識や経験が必要なのでインド旅で勧めることはしないけど、こういう意識を持ち続けると色んな経験ができるし、問題への見方が磨かれる。これの対極がゼロリスクの考えで、これだと自分も社会も立ち行かなくなる。
リスクを取る覚悟があるからこそ、オープンマインドになれる。人として強くなる。

欲求に気づき、認めること

インドでタクシーに乗っていたら、運転手が通行人の女性を毎度ガン見していて、「インド人は自分よりも欲求に対して素直だ」とハッとしたことがある。
僕もキレイな女性がいたらガン見したいと思う。でも恥ずかしさや迷惑にならないよう制限しているに過ぎない。そういう欲求を悪いものとすることは高いレベルの文化にはなるだろうが、人間としては不自然なのだと感じた。
それが許容できる社会というのは、男性も女性も、成熟した人格である必要がある。そうでないと弱者である女性や子供が恐怖する社会になる。なのでそういう社会を求めるわけにはいかないけれど、本当に幸福な社会というのは素直に欲求を出しても問題がない社会なのだろうと考えた。

「旅」と「旅行」の楽しみの違い

旅先で日本人と一緒に歩いていると、その瞬間に体感しているものはその日本人とのコミュニケーションになってしまい、その地を体感することをおざなりにしてしまっていると気づいた。これは、旅と旅行の楽しみ方の違いにも関係して、仲間と体験を共有し楽しみたいなら「旅行」で、その地自体を体験して楽しみたければ「旅」でなければならない。

僕が高学歴の人を好きな理由の一つ

インドで出会った日本人は卒業旅行で来た大学生が多かったが、ほとんどの学生が一流大学だった。面白いと思って、あるとき居合わせた4人に大学名を聞いたら、東大1人、阪大2人、京大1人という組み合わせ。みんな知的で良い方たちだった。やはり好奇心や成長欲求が高いんだろうと思う。
僕が高学歴の人は刺激的で好きという価値観を持つに至る一つの経緯。

日常を離れるとやりたいことに気づく

仕事や日常の雑事を考える必要がなく、ネットやパソコンを使わない非日常な時間を過ごしていると、やっぱり仕事が好きだなとかプログラミングをしたいなと改めて気づいた。あと、自分は「旅人」ではないようで、旅より日本での日常が好きだとわかった。
これは、まだ社会を経験していない人だと気づけないはずで、自分のやりたいことを求め、仕事に打ち込んだのちに、こういった非日常の時間を設ける必要があると感じた。
ヨーロッパ人の長期休暇については、休みが長くて単に羨ましいとなりがちだが、まさにそういう時間が必要で、自分を振り返り、本当にやりたいこと、今必要なこと、人への感謝に気づき、スキル向上の努力や、仕事への活力が生まれ、ひいては仕事の生産性向上にもなるのではと考えた。

おわりに

旅では、訪問先の文化にできるだけ合わせ、現地民と触れ合うことを意識しています。
例えばインドでは、ホテルに宿泊しレストランで食事をしツアーで観光をするだけだと、いくらインドを周ろうと、インドを『見た』だけに留まり、『経験した』ことにはなりません。
上に挙げた気づきも得れないはずです。
旅行ならそれで良いですが、インドで何かを得ようとするのなら、ぜひ現地民の文化に倣うことを意識すると良いです。

僕は自分で経験してみて、『旅は自分の世界を広げる』『人間を大きくする』ということは、上記のような気づきのことなのだと感じました。
日本の文化やこれまでの常識の壁を破った先に得るものは確かにあって。
興味があれば、ぜひ自分で経験してみて、どう感じたか、気づくのは数年後になるかもしれないけれど、素直な気持ちでチャレンジしてみて欲しいと思います。

野宿しながらお遍路をやったときのこと

内面のみの記事が続いたので、実際に経験したものの記事です。

2007年、24歳のとき、
最初の会社を辞めて転職するタイミングで色々経験してみようと思いました。

やったこと

・富士山登頂
・フルマラソン
・北海道で住み込みで酪農業
・四国お遍路
・東南アジアへの旅(台湾、タイ、カンボジアベトナムラオス

その中で、特に得るものが多く、印象深かった四国お遍路の思い出です。

きっかけ

どこで知ったかは忘れましたが、
困難にチャレンジするにはちょうどいいと思ったのでやりました。
何かすごいものが得れるのでは?という期待はありました。

準備

まずは練習として、実家から歩いてできるだけ遠くに行くことにしました。
10kg近くの荷物を背負っていたので、15kmほどで限界が来て、
その夜に近くに親が回転寿司を食べに来るというので、一緒に食べ、
その日は海のそばで寝袋に入って寝ました。寝袋にアリがたくさん入ってきたけど疲れすぎてすぐ寝れました。
次の日、数kmだけ歩いて、温泉に入って、電車で帰ってくるという体たらく。
これで練習終わり。

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他には、白装束、金剛杖、お遍路用の地図などをネットで購入したくらいです。

さあ本番

10月の中旬に出発。
電車とフェリーに乗り、夜に愛媛の八幡浜に到着。
港の近くにあった公園のベンチで、寝返りを打ったら落ちるという狭さで寝袋に入って寝ました。
次の日、お遍路ルートに入り44番の大宝寺へ向かいました。
途中の寺から回ることを「中打ち」と言うらしいです。1番の寺からなら「順打ち」です。

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この後は写真とともに振り返り

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初日からマメが何個かできた。水を抜いたり、糸を通して消毒したりで毎日治療した。

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旅仲間との出会い。
区切り打ち(一括で回らないこと)で歩く老夫婦との出会い。区切る理由は、体力が続かないということでした。
区切り打ちで歩く大学生との出会い。区切る理由は、時間とお金がないということでした。
制限なく挑戦できる自分の状況に感謝しました。

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お遍路バスツアーで大量のおばちゃんたちとの出会い。
元気良くお経を唱える僕に感心してくれ、食べ物をもらうなど交流しました

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日々のお接待での感謝。毎日のごとく食べ物やお金まで頂きました。

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誘われ、5回ほど泊めていただきました。
そのうちのおじさんの一人にはごちそうを振る舞ってもらったり、一緒にお風呂に入ったりしたけど、一緒のベッドで寝てちんちんを触ってきたので、お遍路男子を狙ってる人だったかもしれません。

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山でアケビを拾って食べた

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川やバケツを借りて洗濯

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毎日が寒さと足の痛さとの戦いだったが、不思議と諦めようとは思わなかった

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夕方になると、その日にどこで寝るかを探しながら歩く。
快適さか星空が見れるなどの魅力があればいいですが、大抵はかろうじて寝れるレベルだった。

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もちろん楽しいこと嬉しいことは毎日たくさんありました。過酷なことでも結局はチャレンジなので楽しいんですけどね。

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道を歩いていて普通に楽しい

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山の自然や、夕暮れ、日の出、流れ星など、都会では見れないものばかりだった。
田舎である実家にいたころでもほとんど見たことなかった。

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お遍路ルートには山の部分が結構あって、山に入るときは食料を用意して、その日に山を超えられるように時間を合わせて登った。
富士山なら5合目から3時間で登頂できる体力がありましたが、お遍路での山越えはそれより相当キツかった。

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香川ではお世話になったおばちゃんに讃岐うどん巡りに連れて行ってもらった

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高知ではお寺とお寺の間が90kmくらいあるところが2箇所くらいあって、今思うとよく歩いたなと思う。何を考えて歩いていたかは覚えてない。(写真はDBの蛇の道っぽいところ)

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11月になると寒くなってきて、特に高度が高いところや、高知の港町が寒すぎた。寝袋は夏用の物だったし。
寒さで夜中に起きてしまって、まだ夜か、とガッカリしてコンビニや自販機で温かいものを食べてまた寝たり。

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当初は1日に25kmしか歩けなかったが、後半は40km以上をコンスタントに歩けるように。

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36日かけて結願。全部で1200kmといわれる工程が終了。帰りのフェリーへ

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夢精など含め、一度も射精することはなかった。これはただ疲れが原因だと思う

気づきと変化

・若いって素晴らしい。若さを無駄にせず今できることを全力でやろう!
・道端ででも食べて、寝て、立ちションをするなど、人目を気にせずやっていたことで、これが「自由」かと実感を持つように
・ご飯を食べれて、お風呂に入れて、お布団で寝れる、日常の素晴らしさを実感
欲求段階説で言えば、ずっと安全欲求に飢えていたことになる。欲求段階は状況に応じて下がること、そうなった場合は高次元の目的など持てないことがわかり、理論を裏付けることができた。
・今あるものへの感謝、過酷な状況でも生きていける自信などから、贅沢や過剰な快適さなど多くを求めなくても良いという価値観へとつながっていった。

終わりに

後半、ずっと足の裏が痛いのを無理して歩いていたんですが、帰宅して落ち着いたらまともに歩けないほど痛いことに気づいて、足底腱膜炎であることがわかりました。
1ヶ月半ほどで治って、すぐに東南アジアへの旅に向かいました。

上の気づきなどは、お遍路から数年経って、何かのきっかけでハッと気づくことが多かったです。
気づきって、ノウハウみたいに得た瞬間から認識可能なものではなく、自分の中にはあるけども、それを認識するのは必ずしもその時とは限らないものだなって思います。
そして自分の常識を破るようなレベルの経験が必要で、変化も表面上のものではなく、人格に及ぼすような内面的なこと。

あと人生経験する際は、最初から何かを得ようと下心を持つのではなく、バイアスをなくし、とにかく素直な気持ちでコトに向き合うのが良いとわかりました。

脳科学と心理学から幸福について学ぶ、映画「happy-しあわせを探すあなたへ」

ここまで、アドラー、フロム、マズローという心理学から人間の成長や幸福について書いてきた。
ここで、脳科学も含めて幸福について研究したドキュメンタリー映画「happy-しあわせを探すあなたへ」について紹介する。

自分の経験と、たくさんの人間を研究してできた心理学、そして、人間の進化によってできた脳についての科学の、この3つが矛盾なく混ざり合っていることが、自分の価値観を客観的にも評価できる根拠である。

インドのリキシャーマンとアメリカ人の幸福度は同じ

最初は、インドの貧しいリキシャーマンの紹介から始まる。
仕事は辛いが、家族や隣人との関係のおかげで幸せであると言う。
そして幸福度の調査では、このリキシャーマンと一般的なアメリカ人の幸福度は変わらないという結果であった。

我々日本人からすれば、インドの貧困街に住む人々の暮らしはとても幸福には見えないだろう。
だが幸福とは、国ごとの生活水準によって相対的なものである。
インドに住む人々にとっては、人間として本質的な幸せが得れていれば、
生活水準が低くとも、先進国の人間同様に幸福を感じることができるのである。

本質的な目的と対外的な目的

本質的な目的

・自己の成長
・親密な交友関係
・コミュニティーへの貢献

対外的な目的

・お金、経済的な成功
・容姿のイメージ
・権力や地位

映画では、生きていく上での目的は本質的なものと対外的なものに分けられるとして、
本質的な目的を持っている人はそれ自体で幸せを得ることができ、
対外的な目的を持つ人は人生の満足度が低く、精神的に不安定だと述べている。
対外的な目的は、達成されても喜びは一時的で、そのためさらに多くを求めてしまい、失うことへの恐怖もある。

日本では、ほとんどの人がこの対外的な目的を中心に生きているように思う。
他人との比較では、勝ち組であるかどうかが中心的な基準であるし、
その勝ち組とされる政治家や成功した経営者や容姿を評価されている女性は、既に目的を達し、羨望の対象になっているのにも関わらず、やはりその目的が中心になっている。

これはアドラーの心理学で考えるとわかるが、対外的な目的はすなわち承認欲求である。
これを満たすには、この目的を達することではなく、ただの人間としてありのままを受け入れられることが必要だということだ。


ずっと知りたいと思っているのは、この目的のタイプがどのくらいの割合で存在するか、
勝ち組とされる人の中での割合はどうか、本質的な目的を持つ人はいかにしてそれを持つに至ったか。
中々聞くのが難しいことだけれど。

フロー状態

日常的にフロー状態にある人は幸せとのこと。

そこで思い浮かんだのが途上国の屋台の料理人。
自分が何をやるべきかを完璧にわかっており、洗練された動き、没頭。
そしてたくさんのお客さんに求められている。
こういうところは大抵めちゃウマい。

同様に、職人系の仕事に就いている人でその仕事が合っているならば、日常的に幸せでい続けられるだろう。

(イメージ動画)

見事な手さばき♡ロティ作りの名人♡inタイ、パタヤ Thailand


脳の神経システムは違いを認識する

(幸せとはコントラストである、幸せを阻害するのは慣れ、とも)

例えば、安定を求めて結婚し、専業主婦になった人は始めは幸福だと思うだろう。
だが、ただ安定した変化のない人生はすぐ飽きる。
ある結婚関係の本にあったのは、そういう人は自己実現を目指してまた社会に出ていくらしい。
仕事ならいいが、お金を使って贅沢することで刺激を求め続けるようになると、
コストがかかり続け、本質的な幸せも得ることができない。
苦労はあった方がいい。その苦労への立ち向かい方は重要だ。
それを自分が求めるものではないと拒否し続けるのか、苦労をチャレンジや課題だと捉え、成長してベースが強くなると、常に幸福であり続けることもできるはずだ。

保守的な人は、変化のない何も起こらないことを求め、もし何か起こった際には強さがなければ立ち直りが難しくなるだろう。
それだけではなく、何も起こらないことは本当に満足した人生なのか、ということを問うてみるべきだと思う。
ただこういった人は元々弱さがあるので、これを認知することでさえ難しいことだとは思う。

脳の仕組みから、人生において大事なことに気づくことができる。

コウハウジングコミュニティー

デンマークのコウハウジングコミュニティーというのが紹介されていた。
複数の家族が一箇所に住み、家族の垣根なく、大人と子供が触れ合う。
毎日夕食は全員で囲み、暮らしの雑務やメリットを共有している。
これなら、便利さだけでなく、共同体感覚によって得れる幸福感も大きいだろう感じた。
核家族や子供の数の少なさは、親子の依存を生み、過保護や過干渉が多くなるだろう。
日本にもこういう形態のコミュニティーが普及することが必要だと感じる。

その他の脳科学

この映画では、人の幸福の5割は遺伝によって決まると言い切っている。
遺伝操作でもできない限り、幸せになりづらい人が存在するというのは恐ろしいとも思える割合だと感じた。
その内容には言及されなかったが、自分の知っている脳科学の知識によって少しは説明可能だと考える。

楽観性は遺伝する

これは最近の研究で出ていたが、楽観性は遺伝要因とのこと。
楽観性は幸福感に大きな影響を与える。

扁桃体は不安などを司る

不安にさいなまれたり、感情的に怒りやすかったりするのは、扁桃体が過敏になることで起こる。
これは遺伝するかは知らないが、トラウマや大きな悲しみなどを経験することで扁桃体が弱くなってしまう。

前頭葉は認知を司る

ある出来事に対してどう感じるかは大きく個人差がある。
例えば、自分が精神病になったことを絶対に他人に知られたくないと病院にも行かない人もいれば、
全く恥ずかしいことだとは思わず、その治療に前向きにあらゆる手を尽くせる人間がいる。
前頭葉がその認知を行っていて、これまで出来事に対してどう反応してきたかの積み重ねで変化していく。

神経伝達物質の分泌

幸せホルモンと言われるオキシトシンセロトニン、快楽物質のドーパミンなどは脳内の神経伝達物質である。
その出やすさにも個人差がある。

最後に

幸福とは主観的なものであり、自身を客観的に見てどうしたら良いのかを判断するのは難しいことだと思う。
この心理学や脳科学の理論を知った上で、常日頃から考えてみることで、認知を徐々に変えていくのが良いと思う。認知行動療法が手っ取り早い。


マズローの欲求段階説とその自己実現者についての誤解

アドラーとフロムとマズローは、互いに親交のある関係だった。
それぞれの理論は競合がなく、混ざり合っていて、一つの理論としてまとめることが可能だと考えている。

現在「自己実現」という言葉は大きく誤解されていて、
ほとんどの人々が求めるものは幸福ではなく、成功や栄光やそれに付随する承認である。
それをただ幸福だと思い込んでいるに過ぎない。

この記事では、
有名なマズロー欲求段階説の一般的には知られざる本質と、
その本質を見えなくしている承認欲求の大きな問題、
一般的に使われる「自己実現」という言葉とマズローの「自己実現」の違いなどを書いていく。

欲求段階説

人間の欲求には段階があり、
低次の欲求が満たされると、より高次の欲求が芽生える、という説。
さらに、高次の欲求を持つものは精神的に健康で、より幸福である、ともある。

マーケティング、経営、看護などで接することの多いこの理論だが、
あくまで他者の扱い方に利用するのみで、自己の欲求や成長に照らして語る人を見たことがない。
人間の欲求についての理論なのに、自分はどうなのかと考えることをしないのは不思議なことである。

これには2つの要因があると考えている。
・この理論を本質的に理解するのは、多くの経験、人間的な成熟が必要であること
・「自己実現」という言葉が誤解されているために、間違った自己実現を目指してしまうこと


ちなみに、経営学における欲求段階説の使用は、だいたいにおいて承認欲求止まりが一般的らしい。
マーケティング、看護においても同様だろう。
これだと、この理論を学んだという人であっても、自己実現についてそもそも知らないのかもしれない。

ほとんどの日本人は承認欲求以下に留まっている

例えば、発展途上国の子供やその親からよく聞く事は、
「もっといい暮らしができるようになりたいので、勉強をして良い仕事に就く」という言葉。
これは安全の欲求や生理的欲求すら満たせていないということの表れであろう。

日本でその欲求段階は稀で、いくら安定志向であると言っても安全の欲求は一部で、
あくまで、みすぼらしい生活はしたくないとか、他者と比較していい暮らしがしたいということであり、
これは主に承認欲求ということになる。
日本における貧困とは、相対的貧困であるということも、それを表わしている。

この段階で留まっていると、後に述べるような先の段階は見えてこず、なぜ自分が本質的に幸せになれないのか、
それに気づくこともできないままということになる。

まず承認欲求を脱するには

現代社会において、これは非常に難しいことだと捉えている。

資本主義社会では格差に晒されることにより、下層の者は、妬みや憧れなど「成り上がりたい」という想いが強くなり、
上層の者は、優越や、富に対する過剰な価値付けなど、承認欲求のより深みにハマることになる。

さらに、SNSにより、
その差が日常的に可視化されてしまったことで、常に承認欲求に囚われることになり、
何がしたいのか、自分にとって何が幸福であるかなどの価値観が大きく歪んでしまう。

現在、アイドル志望の若い女性が増えている。
女の子にとってチヤホヤされたいという欲求は当たり前のことだが、
それがすべての価値となってしまうアイドルという仕事に就いてしまうと、
栄光を手に入れられない者は常に焦燥感や不満足を感じ、
手に入れた者でも、それを失いたくないと執着してしまい、
いくら承認欲求を満たしてもそれが増長していくだけということになる。
ますますその先の自己実現からは遠のいていく。


こういう社会において、
自らの価値観を確立し、客観性を保ち続け、社会に影響されずに生きていける人間はどういう者だろうか。

これはアドラーが言っているが、
承認欲求を満たすためには、富や容姿や地位など自分の本質以外で認められるのではなく、
そのままの自分の存在を受け入れられ、認められること。
つまり本当の意味で愛されることが必要だということになる。

不幸でない環境なら、親からそれを受けることができるだろうが、
学校や職場など、社会から受けることができる者は一握りの幸運な者である。

結局は社会全体の価値観や教育が根底から変わらないと、
この承認欲求の負のスパイラルからは抜け出せないと考える。

一般的な「自己実現」との違い

マズロー自己実現が誤解され続け、人々が正しい理想を持つことができないことは問題である。
誤解されるのは下記に述べる2つの大きな要因がある。

自分のやりたいことで生きていけること、社会的成功

一般的には、自己実現というと、
自分のやりたいことをやって生きていけること、社会的に成功する、勝ち組になることだと認識されている。
この言葉はビジネスで都合良く使用され、さらにそれがコモンセンスにさせている。

例えば成功したユーチューバーは、Youtubeがなくなって稼げなくなったらそれは自己実現ではなくなってしまうのか。
栄華を極めても転落して不幸な人生を歩むのはよく聞く話だ。

自己実現とはそういった、何かになった、何かを得たという「点」ではなく、
自分そのものの「状態」のことだ。
そういう人間は常に幸福な状態であり、何かを失うリスクに怯えることもない。

承認欲求の自尊心との混同

承認欲求はその中で二分される。
他者からの承認を得ることと、自分を優れた存在だと自認すること。

この後者のことを、自己実現欲求であると混同している例が多く見られる。
この欲求は、強さや達成や能力への自信など、自身の自尊心を満たすことが根底となっている。

努力するビジネスマンや、トレーニングするスポーツ選手など、
一見自己実現に向かって行動しているような例でも、実はこの承認欲求に留まっている例が多い。

マズロー自己実現欲求とは

自分がなり得るすべての存在になろうとする欲求
人格の成長、成熟を目指す欲求のこと。
精神論だけに捉えられそうだが、この欲求を本質的に理解するためには、結局は自分がこの段階に達せないことには叶うことはない。

このことについては、下記に挙げる自己実現者の15の特徴を見れば少しは明らかとなる。

自己実現者の15の特徴

自己実現をする5年ほど前にこの特徴について初めて見知ったと思うが、
その時は自己実現という言葉とのつながりは全く無縁に思えた。
ところが自己実現以後は、自分が自己実現したと思えるゆえんを的確に表していると感じることができ、
そして好きなことをして生きるというのは、そこに到達するまでの過程の一つに過ぎないという考えに確信が持てた。

マズローがこれらの特徴を発見するにあたっては、
自己実現している者を当時存命している者や、歴史上の人物から選出し、
それらの人間を現象学的手法によって研究したとある。
独創的で驚異的な成果だと感じる。

1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ

他人を正しく判断する能力。ごまかしや不正直を即座に見つけ出す。
嘘やアラを見抜くというレベルではなく、その人が何を求めて行動しているかの内面を判断する。

2.自己、他者、自然に対する受容

自分や他者に、罪深さや弱さがあったとしても、それをありのまま受け入れる。

3.自発性、単純さ、自然さ

動機づけが、人格の成長、成熟、完全な自分になろうとする欲求であり、そのための行動が自発的。
お金や名誉や地位を得るためには行動しない。

4.課題中心的

自分のミッションを理解し、それに従って生きている。

5.プライバシーの欲求からの超越

独りでいても、傷ついたり不安になることがない。一般的な人よりも孤独やプライバシーを好むため、他人には友情のなさや冷たさ、愛情の欠落と映ることがある。

6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性

物理的環境や社会的環境から比較的独立している。興味の中心が自分自身のたゆみない成長であり、自身が持つ可能性を頼りにするため、外部依存的ではない。

7.認識が絶えず新鮮である

他の人にとってもはや新鮮味がなく陳腐なことでも、驚きや恍惚感さえ持って認識する。

8.至高なものに触れる神秘的体験がある

自己実現者のすべてではないが、神秘的な体験をしている。マズローはこれを科学の対象となりうると考えたため、「至高経験」と呼ぶようにしたと。

9.共同社会感情

アドラーの共同体感覚のこと。
共同体に貢献する。この特徴が際立っている。

10.対人関係(少数との深い結びつき)

深い対人関係を取り結ぶが、友人の範囲がかなり狭い。

11.民主主義的な性格構造

階級、教育、政治、人種に関係なく、誰とでも親しくできる。
自己実現者が相手を評価する基準は、その人が持つ性格や能力、才能である。

12.手段と目的、善悪の判断の区別

善悪を区別する高い倫理性を持つ。
手段と目的を区別し、目的を重視する。

13.哲学的で悪意のないユーモアセンス

通常の人とは異なったユーモアセンスを持つ。ただ笑わせるというより、諺や寓話にも似たユーモアである。

14.創造性

特殊な創造性、独創性、発明の才を持つ。創造性は、天真爛漫な子供が持つものに似ている。
大人になる中で失われていくこの創造性を持ち続けるか、一旦失ってもまた回復させる。

15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越

文化にどっぷり浸からないが反逆するわけではない。
社会の法則ではなく、自分の法則に支配されている点で超越的。

この特徴の中で自分が該当していないもの

至高なものに触れる神秘的体験がある
そういったものを経験した覚えはない。
ただし、この至高経験についての説明は抽象的にしかされておらず、B価値(Being<存在>)を求めることだ、と書いてあったりで、実感として理解ができていない。

哲学的で悪意のないユーモアセンス
人の楽しませるのは好きだし、そのセンスも変わっているが、全く崇高なものではない。ぶっちゃけ下ネタである。

該当している特徴

その他の該当しているものについては驚くほど当てはまっている。
そして、この面で、自分は他者とは大きく違うということがわかっている。
以前は、実際に他者との関わりで、自分は普通ではないということに悲観はしないが戸惑うことは多かった。

この特徴はそれぞれが独自に散らばったものではなく、
ある人格の段階に到達した人間なら自然に備わるものであるという、言葉ではうまく言い表せない実感がある。
もちろん、こういう特徴を持とうと思って持ったわけではなく、ただ人格の成長を志向していたら自然と持つに至ったというのが正しい。

ゆえに、自己実現者というのは、
人間としての普遍的な成長の到達点の一つ、だと考えている。

なぜ自己実現者が見つからないか

マズロー自己実現者に至るのは全体の1%以下と言っていて、
その時代から50年ほど経ち、価値観の多様化、仕事の世襲制がなくなり、
どう生きるべきかという迷いは増えたのだろうから、当時より割合は減っていると予想している。

それでも、人間として普遍的な理論ならば多くの自己実現者が存在するはず。
見つからない理由の一つとして、自己実現者は地味で表に出ようとしないので、知られることがないということが考えられる。

実はテレビのドキュメンタリー系の番組などで、自己実現していると思われる人はチラホラ見つかる。
ただの苦労人で素晴らしい人、みたいな紹介のされ方だからわかりづらいが、やはり特徴が際立っている。

自己実現者にすごく会ってみたいので心当たりがある方は連絡ください。

第6の段階「自己超越」について

マズローが晩年唱えた「自己超越」という段階。
至高経験をしている自己実現者ということだが、それに段階を設ける必要性など、理解できていないことが多い。
自己超越者も、いたら会ってみたい。

この理論への批判

どういう批判があるか詳しくは知らないが、とりあえずwikipediaに載っていたものについて。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2%E6%B1%82%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC_(%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BC)#.E6.89.B9.E5.88.A4.E7.9A.84.E6.84.8F.E8.A6.8B
1つは、親が子供に言語や規範といった文化を身につけさせるまでは好き勝手な行動をさせないという事実からあきらかなように、環境要因を無視した欲求の発展は考えにくく、生物学的にだれもがこの順序をたどるとは言えないという批判がある。さらに、生物学的に人間の欲求発展に違いがあるとすれば、発展の違いがもたらす社会的不平等は自然であり正しいという考えを許容する危険性があるという批判もある。
第2の批判は、マズローが普遍モデルを志向していたにもかかわらず、結局は個人主義に価値をおく西洋的人間観をモデル化したに過ぎないというものだ。従って、西洋以外の世界においては妥当性を持ち得ない。例えばRobbinsは、マズローの枠組みはアメリカの文化が前提であり、日本の場合は安全欲求が一番上になると述べている。さらに、マズロー理論は保守主義イデオロギーに対抗する自由主義イデオロギーの表出に過ぎず、西洋世界においても妥当ではないという議論もある。
第3の批判は、自己実現の段階に到達するためには欠乏欲求を乗り越える必要があるという、階層の順番に対する批判である。欠乏欲求を満たすには商品を購入する資力が必要だが、それでは結局自己実現は資力にかかっていることになってしまう。では反対に、資力があれば誰でも自己実現が可能かといえば、それも困難である。身の回りに商品を溢れかえらせることが自己実現であるとするならば、商品の集め方によってしか人間の個性が決まらないことになってしまう。

1つ目は、生物的な普遍性であれば、例えば日本に住む人間と、アフリカに住む人間の手の指の数は変わらない。だがこの理論は、人間の人格の理論である。環境要因によって違いが生まれるのは当然のことだろう。段階のスタート地点や上りやすさに差はあれど、それが段階になっているというこの理論の主張を覆すことはできない。また、欲求の段階によって社会的に差が出るわけではない。あくまで内面的な人間の成長の段階だ。それで差別するような人間は、結局他の要素でも差別をするだろう。

2つ目は、これは国によってどの段階に留まってしまうかが違うだけで、要はその段階を超えた時にどの段階に行くかということが普遍的であるということである。また、日本は安定志向であるため、安全欲求を一部持つが、主体となるのは他の国と同じ承認欲求である。

3つ目は、物がある(買うとは限らない)ことで満たされるのは人間として最低限の暮らしができる生理的欲求と、安全の欲求のみだ。それ以降は、1人で生きていない限り満たしていくことができる。特に、承認欲求を物で満たすと考えているならば、大きな間違いをおかしている。

子育てや結婚などで今の欲求段階は保てるのか

anond.hatelabo.jp

ふと見つけたこの記事に付いていたこのコメント

id:k_oniisan 承認欲求が最も熾烈なのは20代で、そこを首尾よくクリアすると自己実現欲求に苦しむようになる。でも殆どの者は、大人になってから欲求レベルが後退する。子育ての苦悩や将来の不安によって。

確かに、今の安定した幸福度や欲求段階は、余裕のある1人の生活だから実現できているかもしれないという可能性はある。
大変と言われる子育てや、結婚での失敗によって、自分がこの段階を保てるかどうかは確信が持てない。経験したことがないことはわからない。
経験者からの助言ということで心に留めておこうと思う。
もちろん、そういった危機的状況に立ち向かってみたいという興味も、別として持っている。


マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて

マズロー心理学入門―人間性心理学の源流を求めて

本当の愛とはなにか。エーリッヒ・フロム「愛するということ」

アドラーと切り離すことのできない、フロムの愛について。

現在、愛という言葉には二つの定義がある。
ドラマや映画など、世間一般的に使われる「恋」との差がなくなった「愛」
そして、今回のテーマである親が子に対して持つような見返りを求めない「愛」

なぜ、「真実の愛」だと思って結婚したはずなのに、
結婚して数年後、愛し合えているとは言えない夫婦が多くいるのか。

それは、前者の「愛」、つまり「恋」しか行えておらず、
本当の「愛」を行えていないからである。

この本との出会い

結婚に関する本をいくつか出版されている著者の方と話す機会があった。
そこで、「嫌われる勇気」はすごい本だと思っていることを話した時に、この本を勧められた。
読んでみると、第二のバイブルとなるほどの衝撃を受けた。

愛するということ

「愛される」ではなく「愛する」ための本だということ

ちまたにある恋愛本は愛されるためのものばかりである。
どうしたら愛されるかのスキル、どういう人が自分を幸せにしてくれるかの知識など。
これは恋愛においては大事なことだろう。

恋愛は人間的に未熟であっても、本能的な部分だけで行うことができる。
相手への不満が募れば別れればいいし、ケンカしても取り繕って仲直りできる。
いくらワガママを通しても、相手が自分に何らかの価値を感じていれば、お互い幸せだと感じながら付き合い続けることも可能だ。

だが、結婚となると全く別だ。
2人で何十年も夫婦の課題、家族の課題に取り組む必要がある。
愛されるスキルしか持たない人間が、自分と家族を幸せにすることはできないだろう。

また、生物的に恋愛感情は4年ほどしか継続しないという変えがたい事実もあるが、
恋愛状態においてこの知識を踏まえて結婚を考えられる客観性を持つのは難しい。

では愛するとはどんなこと?

相手を幸せにしたいと思うこと。
それは、相手を成長させることでもある。
人間が本当に幸せになるには成長が必要だ。それを促すのも、大事な愛の行動である。

相手を幸せにしたいと思うのは当たり前のことだと思われるかもしれない。
だけど、これには、「自分がどう思われようと」という条件がある。
自分が認められたいから、好かれたいから相手に何かをしてあげるのは愛ではない。
より難しいのは、相手に良くなってもらうために、自分が嫌われてでも厳しさを持つことができるか、ということだ。

本当に愛するレベルにある関係性なら、お互いがそうやって高め合い、関係性も深くなっていくだろう。

そして、いくら幸せにするという意志を持てた相手でも裏切られることはある。
人は弱さゆえに裏切ることがあるがそれはしょうがないことだ。
だけどそこにリスクを感じてはいけない。
人間は弱い、それを理解し、許容できる寛容さまでも、
愛することができる人間というのは持つ必要がある。

ただし、他人を利用しようとする人は、愛の対象にはならない。
結婚相手をステータスのごとく考えたり、恋愛の上下関係を元にわがままを通したり。
結婚するときには、愛する対象になり得るかどうかを見抜く必要がある。

運命的な愛という間違い

愛は、運命で行うものではなく、意志や知性で行うものだ。
若い女性が運命やロマンティックに憧れるのは、自分を特別な存在として承認して欲しいことの表れである。
運命的な愛というのは、未熟な恋でしかない。

人格の成熟が必要だということ

与えられるではなく、与える段階に達していないと、愛することはできない。
アドラー心理学と同じく勇気、強さ、知性が必要である。
まずは、依存心やナルシシズム、他人を利用したり何でも溜め込もうとする弱さを克服するところから始まり、
その上で、強くあろうと生涯成長を志すことだ。

結婚生活とは気を遣いながら送るものではない

夫婦とは気遣いながらやっていくものという常識があるが、
そんな浅い関係性は脆くても仕方がないことだろう。
フロムはこうした関係を、生涯他人のままであり、中心と中心の関係にはならない、と表現している。
成熟した人間同士ならば、ありのままの自分として向き合え、それを認めあうことができる。

自分の子供に対する愛が一番易く、他人になるほど難しい

子育ての大変さという意味ではない。
愛するという意志を持てるかどうか。
自分の子供であれば大抵のことは許せる。
反抗期でどんなに嫌われようと、自分は子供を裏切らないことが愛だ。
だが、親、兄弟、恋人、友人と、他人になるにつれ、それは難しくなっていく。

資本主義と愛

資本主義とは、基本的には個人の利益を追求する社会である。
この社会にあって、利他を必要とする愛に気づくのは難しい。

愛することの難しさ

多くの人が弱さを持っている。

  • 自分に何をしてくれるかで相手を見る人
  • 見捨てられることの恐怖ゆえに他者に害をなす人
  • 他者に認められなくては自己の存在価値を認めることができない人
  • プライドが傷つけられた時にその補填として未熟な行動をとる人

そして、他人は自分のために存在すると信じ、
傷つけることも厭わないような、元々愛することができない人もいる。

実は、結婚するくらいの年齢でこれらの弱さを克服し、与える段階に達している人は少ない。
だがそれで幸せな結婚ができないというわけではもちろんなく、
自分の弱さを理解できる知性がありさえすれば、
その人はその後の人生で弱さを克服していくだろうと思う。

愛することができる世界にしたい

はてブでも結婚のメリット・デメリットが語られたり、
良くあるための具体的な対策案をよく見るが、
もっと俯瞰的に理想の世界を考えてみたい。

今の世の中は、
他者との比較や、メディアなどからの表面的な恋愛の常識の形成、
そういったものゆえに本当の愛が見えづらくなっている。
自分で考え、答えを見つけていける者だけが、理解し、
愛についての経験、成長を経た者だけが、行うことができる。

そういった人間を増やすにはやはり教育だ。
まずは流行からで良い。
本当の愛についての価値が知れ渡り、
親になる人間達がそれを正しいものだと理解すれば、
その子供にはそれを教え、世代が変わるごとに愛することができる人間は増えるだろう。

長い時間がかかることだが、そうせざるを得ないこともわかっている。
大学の授業でこの本を読んだ人に聞くと、
当時は難しくてわからなかったということだった。
旧訳の方だったのだろうが、当人の愛の経験が乏しいと理解すらできないということだ。
本を読んで、その価値を理解したとしても、行動できるまでに数年はかかるだろう。

この部分にビビッときた

フロムは、愛を与えることは自分の生命を与えることだと述べています。ここで言っている生命とは「命」のことではなく、「自分の中に息づいているもの」のことです。相手に対して、「自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与える」ことが愛だとフロムは言うのです。そして、「与えることによって、かならず他人の中に何かが生まれ、その生まれたものは自分に跳ね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのです。

自分はまさにこういう意識で他者に接してきて、理由はわからないがすごく重要だと思っていたことだった。
これが確かに愛なのだとわかるけど、他の人の例も聞いてみたい。

本は新訳の方で

本は下にリンクした新訳のものと、
NHKの「100分de名著」の二冊とも読むことをオススメする。