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かじまるの人生日記

いつも幸福な人間が、その人格を考察したり仲間を探すためのブログ

あまり理解されない本当に幸福な人間

これまで幸福に生きてきた。
ここ数年の間、他の人は自分ほど幸福を得てはいないのだということに気づいた。
そこで、人間の幸福というものに興味を持ち、
心理学、哲学、脳科学、精神医学と学習の範囲を広げることになり、
人間としての普遍的な幸福、幸福と成長とのつがなり、普遍的な成長の過程というものがあるのではと思い至った。

自分がなぜ幸福であるか

嫉妬をしない

同僚、同級生の成功や幸せを知った時に、喜びや憧れはあっても、嫉妬をすることはない。
競争も、それ自体は楽しくて好きだが、自分が勝ちたいから競争するのではないし、負けてもただ相手を尊敬し、自分の成長への動機とするなど、マイナスに陥ることがない。

誰かを失う、何かを失うことの恐怖がない

人にも物にも地位にも依存することがない。
それを失う恐怖ゆえに日常的に思い悩んだり、やるべきことをやれないということがない。
後悔もなく充実した人生であるためか、自分の死についても同様。

大事なものに気づける

恋愛の別れや近しい人の死、日常の素晴らしさなど、失ってからでないとわからないことがあることを知っているので、今あること(存在・所有)の大事さに気づくことができる。
また、この幸福はこれまで出会った人たちのおかげであることを理解しているため、多くの人に感謝をしている。

自己肯定感が充分にあり自己受容ができている

色んな経験、成功体験を積んできた。失敗の体験の方が多いけれど。
自分が否定されても、窮地に陥ろうとも、それを素直に受け入れ、前を向いて進むことができる。

ちなみに、自信と自己肯定感は異なるものだが、どちらも過ぎるのは良くない。
自信はその根拠もなく自信過剰になってしまうと、謙虚さがなくなり、自分を客観的に見れず、成長を止めてしまうし、
自己肯定感が過ぎれば、自分に否がある場合でもそれを認めず、ありのままの自分で良いのだ、と正すべきを見えなくしてしまう。
ほどほどというか、どちらも充分にあっていいが、それを制御できる人格が必要である。

自由である

自由奔放という意味ではない。
やると決めたことを、それが人にどう見られようと、常識や文化に外れることだとしても行うことができる。
また、素直さにもつながっている。大人になっても素直さを持ち続けている人間というのは、無防備に晒した自分を否定される恐怖を乗り越えた人間だということだ。

内発的動機づけによる成長欲求を持っている。好奇心がある。努力ができる

ただ自分を向上させたい、より良い人間になりたいという動機。
狭く偏らず、広い世界に向けての好奇心。
そしてそれを実現するための努力ができる。地道な積み重ね自体を楽しめる。

共同体感覚を持っている(アドラー心理学

社会や周りの人間を幸福にしたいという欲求がある。自分ができる範囲で。
嫌われること、疎外されることへの恐怖はなく、ただ自分から好意を持てる。
自分勝手な人、批判ばかりで他者の評価を下げる人、それらは未熟さや弱さが動機となっていることを知っているので、否定することもない。(下に見てるのではなく、それはそうせざるを得ないのだということを理解している)

少しで満足できる。多くを求めない

人が身の丈に合わないお金を使い方をしたり贅沢をするのは、承認欲求が1番の理由だろう。その次は染み付いた生活水準を落とすことができないことだろうか。
まず、承認欲求が満たされた者はそれによる贅沢をする必要がない。
そして生活水準を落としても幸福であり続けることは可能だという仮説を持っているが、今後のエントリで詳しく説明してみる。

一般的な幸福とは

上に書いたことに納得できない人もいると思う。
キレイ事、決して最上の幸福ではないとか、安定はしているが些細な幸福だろう、という感じだろうか。

書いてる途中、ふと「幸福な人間」みたいなキーワードで検索をしてみた。

私ほど幸せな人はいない! : 家族・友人・人間関係 : 発言小町 : 大手小町
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2013/0320/581080.htm

このトピ主の状況は誰にとっても幸福だろう。しかもかなり得難いほどの。
一般的な幸福のカタチと言える、裕福さ、素晴らしい家族、他者からの評価、容姿端麗など。
先に挙げた幸福と、言っていることが全く異なっているのが面白い。

幸福の違い

これはどっちが良いと比較するものではない。
論理的に比較したとしても、納得できるものにはならない。

ではどういうことか。

愛が満たされていない、
承認欲求が満たされていない、
自己肯定感が低い、
そういった人間の未熟な部分を克服していったとき、
幸福の価値観とは自然に移行していくものだと考える。
その時、小町の方の外面的な幸福ではなく、内面的な幸福について価値を求めるようになる。
これはそうなってみないと理解できないものだと考えている。

幸福の価値観とは、人間の成長レベルによって変わっていくものだということ。

普遍的な幸福を説明できる心理学など

自分が大きく変わっていた期間、
その変化の意味に興味が湧き、心理学から学び始めた。
そして日本人というより人間として、より普遍的な幸福へと向かっていった。

それぞれ、別エントリで書く予定。

マズロー欲求5段階説

マズローは精神的に健康な人、卓越した人を対象に研究したとされる。フロイトはその逆。
人間の欲求レベルは段階になっていて、下が満たされれば上に移行するし、その逆もある。
有名な理論だけど、自らその理論を体現している人は少ないと感じる。

映画「Happy-しあわせを探すあなたへ」

心理学者、脳科学者が幸福について研究した。そのドキュメンタリー。

ルフレッド・アドラーの心理学

自由、共同体感覚、課題の分離など。
「嫌われる勇気」はすごい本。

エーリッヒ・フロムの心理学

「愛するということ」とは。
愛について世間の認識との大きな違い、愛を理解、実践することの難しさ。
信頼の大事さ、難しさ。

ムヒカ元大統領

幸福や将来の自分をイメージするときに、象徴として浮かぶ人物。
世界のリーダーたちの中で、あのスピーチをしたこと。世界を1番俯瞰的に見れていると感じた。

その他

発達心理学や精神医学の知識は、人間にとって何が弱さ、未熟さであるかを知るのに役立った。
人間は満たすべき欲求があり、それが満たされないと深刻な障害によって現れるということ。
ヴィクトール・フランクルからは人間の強さを知った。これは幸福の範疇からは外れる。

最後に

「普遍的」と書いているが、精神的に健康な人間というのが条件になっていて、
そうでないなら、まずはマイナス要因を克服せずにはその普遍性に気づくことはできないだろう。
このブログは、まずはその普遍性を求めていくところから始めていきたい。