野宿しながらお遍路をやったときのこと
内面のみの記事が続いたので、実際に経験したものの記事です。
2007年、24歳のとき、
最初の会社を辞めて転職するタイミングで色々経験してみようと思いました。
やったこと
・富士山登頂
・フルマラソン
・北海道で住み込みで酪農業
・四国お遍路
・東南アジアへの旅(台湾、タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス)
その中で、特に得るものが多く、印象深かった四国お遍路の思い出です。
きっかけ
どこで知ったかは忘れましたが、
困難にチャレンジするにはちょうどいいと思ったのでやりました。
何かすごいものが得れるのでは?という期待はありました。
準備
まずは練習として、実家から歩いてできるだけ遠くに行くことにしました。
10kg近くの荷物を背負っていたので、15kmほどで限界が来て、
その夜に近くに親が回転寿司を食べに来るというので、一緒に食べ、
その日は海のそばで寝袋に入って寝ました。寝袋にアリがたくさん入ってきたけど疲れすぎてすぐ寝れました。
次の日、数kmだけ歩いて、温泉に入って、電車で帰ってくるという体たらく。
これで練習終わり。
他には、白装束、金剛杖、お遍路用の地図などをネットで購入したくらいです。
さあ本番
10月の中旬に出発。
電車とフェリーに乗り、夜に愛媛の八幡浜に到着。
港の近くにあった公園のベンチで、寝返りを打ったら落ちるという狭さで寝袋に入って寝ました。
次の日、お遍路ルートに入り44番の大宝寺へ向かいました。
途中の寺から回ることを「中打ち」と言うらしいです。1番の寺からなら「順打ち」です。
この後は写真とともに振り返り
初日からマメが何個かできた。水を抜いたり、糸を通して消毒したりで毎日治療した。
旅仲間との出会い。
区切り打ち(一括で回らないこと)で歩く老夫婦との出会い。区切る理由は、体力が続かないということでした。
区切り打ちで歩く大学生との出会い。区切る理由は、時間とお金がないということでした。
制限なく挑戦できる自分の状況に感謝しました。
お遍路バスツアーで大量のおばちゃんたちとの出会い。
元気良くお経を唱える僕に感心してくれ、食べ物をもらうなど交流しました
日々のお接待での感謝。毎日のごとく食べ物やお金まで頂きました。
誘われ、5回ほど泊めていただきました。
そのうちのおじさんの一人にはごちそうを振る舞ってもらったり、一緒にお風呂に入ったりしたけど、一緒のベッドで寝てちんちんを触ってきたので、お遍路男子を狙ってる人だったかもしれません。
山でアケビを拾って食べた
川やバケツを借りて洗濯
毎日が寒さと足の痛さとの戦いだったが、不思議と諦めようとは思わなかった
夕方になると、その日にどこで寝るかを探しながら歩く。
快適さか星空が見れるなどの魅力があればいいですが、大抵はかろうじて寝れるレベルだった。
もちろん楽しいこと嬉しいことは毎日たくさんありました。過酷なことでも結局はチャレンジなので楽しいんですけどね。
道を歩いていて普通に楽しい
山の自然や、夕暮れ、日の出、流れ星など、都会では見れないものばかりだった。
田舎である実家にいたころでもほとんど見たことなかった。
お遍路ルートには山の部分が結構あって、山に入るときは食料を用意して、その日に山を超えられるように時間を合わせて登った。
富士山なら5合目から3時間で登頂できる体力がありましたが、お遍路での山越えはそれより相当キツかった。
香川ではお世話になったおばちゃんに讃岐うどん巡りに連れて行ってもらった
高知ではお寺とお寺の間が90kmくらいあるところが2箇所くらいあって、今思うとよく歩いたなと思う。何を考えて歩いていたかは覚えてない。(写真はDBの蛇の道っぽいところ)
11月になると寒くなってきて、特に高度が高いところや、高知の港町が寒すぎた。寝袋は夏用の物だったし。
寒さで夜中に起きてしまって、まだ夜か、とガッカリしてコンビニや自販機で温かいものを食べてまた寝たり。
当初は1日に25kmしか歩けなかったが、後半は40km以上をコンスタントに歩けるように。
36日かけて結願。全部で1200kmといわれる工程が終了。帰りのフェリーへ
夢精など含め、一度も射精することはなかった。これはただ疲れが原因だと思う
気づきと変化
・若いって素晴らしい。若さを無駄にせず今できることを全力でやろう!
・道端ででも食べて、寝て、立ちションをするなど、人目を気にせずやっていたことで、これが「自由」かと実感を持つように
・ご飯を食べれて、お風呂に入れて、お布団で寝れる、日常の素晴らしさを実感
・欲求段階説で言えば、ずっと安全欲求に飢えていたことになる。欲求段階は状況に応じて下がること、そうなった場合は高次元の目的など持てないことがわかり、理論を裏付けることができた。
・今あるものへの感謝、過酷な状況でも生きていける自信などから、贅沢や過剰な快適さなど多くを求めなくても良いという価値観へとつながっていった。
終わりに
後半、ずっと足の裏が痛いのを無理して歩いていたんですが、帰宅して落ち着いたらまともに歩けないほど痛いことに気づいて、足底腱膜炎であることがわかりました。
1ヶ月半ほどで治って、すぐに東南アジアへの旅に向かいました。
上の気づきなどは、お遍路から数年経って、何かのきっかけでハッと気づくことが多かったです。
気づきって、ノウハウみたいに得た瞬間から認識可能なものではなく、自分の中にはあるけども、それを認識するのは必ずしもその時とは限らないものだなって思います。
そして自分の常識を破るようなレベルの経験が必要で、変化も表面上のものではなく、人格に及ぼすような内面的なこと。
あと人生経験する際は、最初から何かを得ようと下心を持つのではなく、バイアスをなくし、とにかく素直な気持ちでコトに向き合うのが良いとわかりました。