マズローの欲求段階説とその自己実現者についての誤解
アドラーとフロムとマズローは、互いに親交のある関係だった。
それぞれの理論は競合がなく、混ざり合っていて、一つの理論としてまとめることが可能だと考えている。
現在「自己実現」という言葉は大きく誤解されていて、
ほとんどの人々が求めるものは幸福ではなく、成功や栄光やそれに付随する承認である。
それをただ幸福だと思い込んでいるに過ぎない。
この記事では、
有名なマズローの欲求段階説の一般的には知られざる本質と、
その本質を見えなくしている承認欲求の大きな問題、
一般的に使われる「自己実現」という言葉とマズローの「自己実現」の違いなどを書いていく。
- 欲求段階説
- ほとんどの日本人は承認欲求以下に留まっている
- まず承認欲求を脱するには
- 一般的な「自己実現」との違い
- 自己実現者の15の特徴
- この特徴の中で自分が該当していないもの
- 該当している特徴
- なぜ自己実現者が見つからないか
- 第6の段階「自己超越」について
- この理論への批判
- 子育てや結婚などで今の欲求段階は保てるのか
欲求段階説
人間の欲求には段階があり、
低次の欲求が満たされると、より高次の欲求が芽生える、という説。
さらに、高次の欲求を持つものは精神的に健康で、より幸福である、ともある。
マーケティング、経営、看護などで接することの多いこの理論だが、
あくまで他者の扱い方に利用するのみで、自己の欲求や成長に照らして語る人を見たことがない。
人間の欲求についての理論なのに、自分はどうなのかと考えることをしないのは不思議なことである。
これには2つの要因があると考えている。
・この理論を本質的に理解するのは、多くの経験、人間的な成熟が必要であること
・「自己実現」という言葉が誤解されているために、間違った自己実現を目指してしまうこと
ちなみに、経営学における欲求段階説の使用は、だいたいにおいて承認欲求止まりが一般的らしい。
マーケティング、看護においても同様だろう。
これだと、この理論を学んだという人であっても、自己実現についてそもそも知らないのかもしれない。
ほとんどの日本人は承認欲求以下に留まっている
例えば、発展途上国の子供やその親からよく聞く事は、
「もっといい暮らしができるようになりたいので、勉強をして良い仕事に就く」という言葉。
これは安全の欲求や生理的欲求すら満たせていないということの表れであろう。
日本でその欲求段階は稀で、いくら安定志向であると言っても安全の欲求は一部で、
あくまで、みすぼらしい生活はしたくないとか、他者と比較していい暮らしがしたいということであり、
これは主に承認欲求ということになる。
日本における貧困とは、相対的貧困であるということも、それを表わしている。
この段階で留まっていると、後に述べるような先の段階は見えてこず、なぜ自分が本質的に幸せになれないのか、
それに気づくこともできないままということになる。
まず承認欲求を脱するには
現代社会において、これは非常に難しいことだと捉えている。
資本主義社会では格差に晒されることにより、下層の者は、妬みや憧れなど「成り上がりたい」という想いが強くなり、
上層の者は、優越や、富に対する過剰な価値付けなど、承認欲求のより深みにハマることになる。
さらに、SNSにより、
その差が日常的に可視化されてしまったことで、常に承認欲求に囚われることになり、
何がしたいのか、自分にとって何が幸福であるかなどの価値観が大きく歪んでしまう。
現在、アイドル志望の若い女性が増えている。
女の子にとってチヤホヤされたいという欲求は当たり前のことだが、
それがすべての価値となってしまうアイドルという仕事に就いてしまうと、
栄光を手に入れられない者は常に焦燥感や不満足を感じ、
手に入れた者でも、それを失いたくないと執着してしまい、
いくら承認欲求を満たしてもそれが増長していくだけということになる。
ますますその先の自己実現からは遠のいていく。
こういう社会において、
自らの価値観を確立し、客観性を保ち続け、社会に影響されずに生きていける人間はどういう者だろうか。
これはアドラーが言っているが、
承認欲求を満たすためには、富や容姿や地位など自分の本質以外で認められるのではなく、
そのままの自分の存在を受け入れられ、認められること。
つまり本当の意味で愛されることが必要だということになる。
不幸でない環境なら、親からそれを受けることができるだろうが、
学校や職場など、社会から受けることができる者は一握りの幸運な者である。
結局は社会全体の価値観や教育が根底から変わらないと、
この承認欲求の負のスパイラルからは抜け出せないと考える。
一般的な「自己実現」との違い
マズローの自己実現が誤解され続け、人々が正しい理想を持つことができないことは問題である。
誤解されるのは下記に述べる2つの大きな要因がある。
自分のやりたいことで生きていけること、社会的成功
一般的には、自己実現というと、
自分のやりたいことをやって生きていけること、社会的に成功する、勝ち組になることだと認識されている。
この言葉はビジネスで都合良く使用され、さらにそれがコモンセンスにさせている。
例えば成功したユーチューバーは、Youtubeがなくなって稼げなくなったらそれは自己実現ではなくなってしまうのか。
栄華を極めても転落して不幸な人生を歩むのはよく聞く話だ。
自己実現とはそういった、何かになった、何かを得たという「点」ではなく、
自分そのものの「状態」のことだ。
そういう人間は常に幸福な状態であり、何かを失うリスクに怯えることもない。
自己実現者の15の特徴
自己実現をする5年ほど前にこの特徴について初めて見知ったと思うが、
その時は自己実現という言葉とのつながりは全く無縁に思えた。
ところが自己実現以後は、自分が自己実現したと思えるゆえんを的確に表していると感じることができ、
そして好きなことをして生きるというのは、そこに到達するまでの過程の一つに過ぎないという考えに確信が持てた。
マズローがこれらの特徴を発見するにあたっては、
自己実現している者を当時存命している者や、歴史上の人物から選出し、
それらの人間を現象学的手法によって研究したとある。
独創的で驚異的な成果だと感じる。
1.現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ
他人を正しく判断する能力。ごまかしや不正直を即座に見つけ出す。
嘘やアラを見抜くというレベルではなく、その人が何を求めて行動しているかの内面を判断する。
2.自己、他者、自然に対する受容
自分や他者に、罪深さや弱さがあったとしても、それをありのまま受け入れる。
3.自発性、単純さ、自然さ
動機づけが、人格の成長、成熟、完全な自分になろうとする欲求であり、そのための行動が自発的。
お金や名誉や地位を得るためには行動しない。
4.課題中心的
自分のミッションを理解し、それに従って生きている。
5.プライバシーの欲求からの超越
独りでいても、傷ついたり不安になることがない。一般的な人よりも孤独やプライバシーを好むため、他人には友情のなさや冷たさ、愛情の欠落と映ることがある。
6.文化と環境からの独立、能動的人間、自律性
物理的環境や社会的環境から比較的独立している。興味の中心が自分自身のたゆみない成長であり、自身が持つ可能性を頼りにするため、外部依存的ではない。
7.認識が絶えず新鮮である
他の人にとってもはや新鮮味がなく陳腐なことでも、驚きや恍惚感さえ持って認識する。
9.共同社会感情
アドラーの共同体感覚のこと。
共同体に貢献する。この特徴が際立っている。
10.対人関係(少数との深い結びつき)
深い対人関係を取り結ぶが、友人の範囲がかなり狭い。
11.民主主義的な性格構造
階級、教育、政治、人種に関係なく、誰とでも親しくできる。
自己実現者が相手を評価する基準は、その人が持つ性格や能力、才能である。
12.手段と目的、善悪の判断の区別
善悪を区別する高い倫理性を持つ。
手段と目的を区別し、目的を重視する。
13.哲学的で悪意のないユーモアセンス
通常の人とは異なったユーモアセンスを持つ。ただ笑わせるというより、諺や寓話にも似たユーモアである。
14.創造性
特殊な創造性、独創性、発明の才を持つ。創造性は、天真爛漫な子供が持つものに似ている。
大人になる中で失われていくこの創造性を持ち続けるか、一旦失ってもまた回復させる。
15.文化に組み込まれることに対する抵抗、文化の超越
文化にどっぷり浸からないが反逆するわけではない。
社会の法則ではなく、自分の法則に支配されている点で超越的。
この特徴の中で自分が該当していないもの
至高なものに触れる神秘的体験がある
そういったものを経験した覚えはない。
ただし、この至高経験についての説明は抽象的にしかされておらず、B価値(Being<存在>)を求めることだ、と書いてあったりで、実感として理解ができていない。
哲学的で悪意のないユーモアセンス
人の楽しませるのは好きだし、そのセンスも変わっているが、全く崇高なものではない。ぶっちゃけ下ネタである。
該当している特徴
その他の該当しているものについては驚くほど当てはまっている。
そして、この面で、自分は他者とは大きく違うということがわかっている。
以前は、実際に他者との関わりで、自分は普通ではないということに悲観はしないが戸惑うことは多かった。
この特徴はそれぞれが独自に散らばったものではなく、
ある人格の段階に到達した人間なら自然に備わるものであるという、言葉ではうまく言い表せない実感がある。
もちろん、こういう特徴を持とうと思って持ったわけではなく、ただ人格の成長を志向していたら自然と持つに至ったというのが正しい。
ゆえに、自己実現者というのは、
人間としての普遍的な成長の到達点の一つ、だと考えている。
なぜ自己実現者が見つからないか
マズローは自己実現者に至るのは全体の1%以下と言っていて、
その時代から50年ほど経ち、価値観の多様化、仕事の世襲制がなくなり、
どう生きるべきかという迷いは増えたのだろうから、当時より割合は減っていると予想している。
それでも、人間として普遍的な理論ならば多くの自己実現者が存在するはず。
見つからない理由の一つとして、自己実現者は地味で表に出ようとしないので、知られることがないということが考えられる。
実はテレビのドキュメンタリー系の番組などで、自己実現していると思われる人はチラホラ見つかる。
ただの苦労人で素晴らしい人、みたいな紹介のされ方だからわかりづらいが、やはり特徴が際立っている。
自己実現者にすごく会ってみたいので心当たりがある方は連絡ください。
第6の段階「自己超越」について
マズローが晩年唱えた「自己超越」という段階。
至高経験をしている自己実現者ということだが、それに段階を設ける必要性など、理解できていないことが多い。
自己超越者も、いたら会ってみたい。
この理論への批判
どういう批判があるか詳しくは知らないが、とりあえずwikipediaに載っていたものについて。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2%E6%B1%82%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC_(%E3%83%9E%E3%82%BA%E3%83%AD%E3%83%BC)#.E6.89.B9.E5.88.A4.E7.9A.84.E6.84.8F.E8.A6.8B
1つは、親が子供に言語や規範といった文化を身につけさせるまでは好き勝手な行動をさせないという事実からあきらかなように、環境要因を無視した欲求の発展は考えにくく、生物学的にだれもがこの順序をたどるとは言えないという批判がある。さらに、生物学的に人間の欲求発展に違いがあるとすれば、発展の違いがもたらす社会的不平等は自然であり正しいという考えを許容する危険性があるという批判もある。
第2の批判は、マズローが普遍モデルを志向していたにもかかわらず、結局は個人主義に価値をおく西洋的人間観をモデル化したに過ぎないというものだ。従って、西洋以外の世界においては妥当性を持ち得ない。例えばRobbinsは、マズローの枠組みはアメリカの文化が前提であり、日本の場合は安全欲求が一番上になると述べている。さらに、マズロー理論は保守主義的イデオロギーに対抗する自由主義的イデオロギーの表出に過ぎず、西洋世界においても妥当ではないという議論もある。
第3の批判は、自己実現の段階に到達するためには欠乏欲求を乗り越える必要があるという、階層の順番に対する批判である。欠乏欲求を満たすには商品を購入する資力が必要だが、それでは結局自己実現は資力にかかっていることになってしまう。では反対に、資力があれば誰でも自己実現が可能かといえば、それも困難である。身の回りに商品を溢れかえらせることが自己実現であるとするならば、商品の集め方によってしか人間の個性が決まらないことになってしまう。
1つ目は、生物的な普遍性であれば、例えば日本に住む人間と、アフリカに住む人間の手の指の数は変わらない。だがこの理論は、人間の人格の理論である。環境要因によって違いが生まれるのは当然のことだろう。段階のスタート地点や上りやすさに差はあれど、それが段階になっているというこの理論の主張を覆すことはできない。また、欲求の段階によって社会的に差が出るわけではない。あくまで内面的な人間の成長の段階だ。それで差別するような人間は、結局他の要素でも差別をするだろう。
2つ目は、これは国によってどの段階に留まってしまうかが違うだけで、要はその段階を超えた時にどの段階に行くかということが普遍的であるということである。また、日本は安定志向であるため、安全欲求を一部持つが、主体となるのは他の国と同じ承認欲求である。
3つ目は、物がある(買うとは限らない)ことで満たされるのは人間として最低限の暮らしができる生理的欲求と、安全の欲求のみだ。それ以降は、1人で生きていない限り満たしていくことができる。特に、承認欲求を物で満たすと考えているならば、大きな間違いをおかしている。
子育てや結婚などで今の欲求段階は保てるのか
ふと見つけたこの記事に付いていたこのコメント
id:k_oniisan 承認欲求が最も熾烈なのは20代で、そこを首尾よくクリアすると自己実現の欲求に苦しむようになる。でも殆どの者は、大人になってから欲求レベルが後退する。子育ての苦悩や将来の不安によって。
確かに、今の安定した幸福度や欲求段階は、余裕のある1人の生活だから実現できているかもしれないという可能性はある。
大変と言われる子育てや、結婚での失敗によって、自分がこの段階を保てるかどうかは確信が持てない。経験したことがないことはわからない。
経験者からの助言ということで心に留めておこうと思う。
もちろん、そういった危機的状況に立ち向かってみたいという興味も、別として持っている。
- 作者: 中野明
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